仰天ニュース 藤井将雄の功績とメッセージ「皆様へ」 [スポーツ]
ソフトバンクの工藤監督がダイエー時代にともに投手として戦い、2000年に亡くなった藤井将雄が再び注目を集めているようだ。
藤井将雄
生年月日:1968年(昭和43年)10月16日生まれ
職業:福岡ダイエーホークス投手(背番号15)右投げ、右打
身 長:177cm
体 重:72kg
経 歴:
福岡県今宿小学校(5年時転校)→湊小学校→湊中学校→
唐津商業高校→日産自動車九州
■都市対抗4回出場 ■日本選手権2回出場 ■全日本で広島アジア大会出場(金メダル)
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1994年ドラフト4位で福岡ダイエーホークス入団 (1999年度パリーグホールドポイントタイトルホルダー)
入団当初は1年目から先発を任されたものの、しかしその後は伸び悩み、3年目から中継ぎに転向。
この頃西武から移籍してきた工藤と同じチームメイトとなる。
常勝西武から弱小ダイエーに移籍した工藤は、弱小チームが当たり前の雰囲気だったダイエーの若手にプロの厳しさを伝える事が難しくて、中々馴染めず、チームの中で浮いた存在になっていたらしい。
そこで工藤は、選手の意識改革をするために憎まれ役となって、若手たちを厳しく指導したようだ。
当然若手からの反発や不満も高まっていくこととなる。
そんな中、工藤を兄貴分として慕っていた藤井は率先して工藤と若手とのパイプ役になったらしい。
「もし藤井がいなかったら、ボクは完全に孤立していたかもしれない」
後にその時の様子を
工藤はそう答えている。
そうした二人の意識改革は見事成功し、ダイエー初優勝となる。
藤井自身も右の中継ぎエースとして活躍し、1999年に26ホールドを記録し、パシフィック・リーグ最多ホールド記録(当時)を樹立し、最多ホールドを獲得。
「炎の中継ぎ」と称され、ダイエーのリーグ優勝の原動力となった。
だが、同年の夏頃からマウンド上で咳き込む様子が見られるようになる。
周囲は「登板過多による疲れではないか」としていたが、
日本シリーズ前の身体検査で異常が見つかり、シリーズ後に入院。
この時すでに「余命3ヶ月の末期肺癌」だった。
藤井が末期肺癌であることを知っていたのは、藤井の家族と王をはじめとする首脳陣の一部、若田部健一などの一部チームメイトなど、極々身近の者のみだったらしい。
「マウンドに上がるという気持ちがあれば、気力で病気を克服できるかもしれないから」という家族の懇願もあり、本人には本当の病名を伏せていた。
2000年は入退院を繰り返しつつ、2軍の練習に参加して2軍戦6試合に登板するまで回復した。
だが最後のマウンドになるかもしれないことが伝えられていた王は藤井に
「今すぐ1軍に上がって来い」
と電話したが、藤井は
「(2軍で)結果を出せていないのに(1軍に)上がることなど出来ない」
と固辞、結局1軍で登板することは無かった。
その秋、2000年に福岡ダイエーがV2を達成したのを見届けた後、帰らぬ人となる。
享年31歳という若さだった。
彼の背番号15にちなみ、福岡ドームの15番通路は「藤井ゲート」と呼ばれ、記念プレートと藤井の最後のメッセージ(個人ホームページに掲載された「皆様へ」で始まるメッセージ)が入口に掲げられている。
皆様へ
今の自分があるのは、過去から現在において出会ったすべての人のおかげだと思います。
その中の誰一人がかけても、今のこの幸せな自分は存在しませんでした。
だから、すべての人に感謝しています。
プロ野球選手はまわりの人々に夢と希望を与える職業だという人がいます。
でも、ボクは逆です。
たくさんの人から夢や希望、エネルギーをもらってきました。
そのことがうれしかったんです。
6年前の入団発表のとき、王監督を胴上げしたいと抱負を述べました。
その願いも去年のリーグ優勝と日本一で無事に達成できました。
そして、今年はチーム全員で頑張ってつかんだV2。すばらしい野球人生だったと胸を張れます。
この病気には自分自身、すごく勉強させてもらいました。
孤独や優しさ、思いやり、不安。
人間の本当の感情に触れることができました。
今までのボクは上っ面のとこしか見えてなかったんだなとも思いました。
すべては、この病気が教えてくれたことです。
この一年間、ゆっくりと休ませてもらいました。
あらためて野球を頑張ろうという気持ちにさせてくれた中内正オーナー代行はじめ球団の方々、王監督、チームメートの皆、感謝の気持ちは忘れません。
そして、生きる希望を与えてくださったファンの皆様、ありがとうございました。
これからもダイエーホークスを応援してください。
藤井将雄
※球団名などは当時のものです
2001年以降、ダイエー・ソフトバンクを通じて背番号15をつけた選手はおらず、球団は将来的に永久欠番に制定することを示唆している。
興味をもった方は、是非下の動画も見てほしい。
どれだけみんなから愛された選手だったのか。
今も生きていたら、きっと工藤新監督と一緒にやっていたにちがいない。
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