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あさま山荘事件の鉄球作戦 白田弘行・五郎兄弟とは [事件]

ありえへん∞世界であさま山荘事件が取り上げられる。



あさま山荘事件といえば、思い出されるのがあの鉄球で建物を壊すシーン。



この鉄球を使ったのは実は民間人の白田兄弟だということが事件後30年経ってからあきらかにされたという。



なぜ民間人の彼らが、あさま山荘事件に巻き込まれていったのか、調べてみた。





出典


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今から30年前、長野県軽井沢で史上例のない大事件が起きた。



各地で爆弾事件を起こしていた過激派連合赤軍のメンバー5人が人質を取り、あさま山荘に立てこもったのだ。

犯人は、近づく警官に容赦ない銃弾を浴びせ、死傷者が続出した。

急斜面にそそり立つあさま山荘は、難攻不落の要塞になった。

人質は、管理人の妻牟田泰子さん、救出は困難を極めた。

そして遂に警察は突入を決意。

だがこの時武器は使えなかった。

ジャック事件の犯人射殺の裁判などで、武器をつかうのは、国から禁止されてたからであったからだ。

 

犯人の多くは3階にいる一方、泰子さんは、2階に監禁されていると思われた。

そこで 山荘内部の階段を壊し、人質と犯人を分断、安全に泰子さんを救い出す作戦を取ることにしたが、階段は鉄骨製。

警察庁から応援に来ていた佐々が解体工事に使う鉄球を使うことを提案した。

出典

近隣の建設会社は報復されることを恐れて断り続けた中、「やる」と申し出たのは長野市安茂里の「白田組」白田弘行だった。

白田組は戦前から軍の払い下げの車両を改造して重量物運搬を行っていた老舗で、当時は在日米軍から軍用車両を多数払い下げ購入し、それらを独自で改造し営業していた。

当時は大事故を請け負うレッカー会社も存在しない時代、白田組は長野県警の依頼で事故レッカーを行う事も多かったという。

 

白田は、 すぐ義弟の五郎に協力を依頼、車の運転は兄、鉄球の操作は弟、と役割分担し、突入劇への参加が決まった。

突入作戦の前日、白田兄弟は、クレーン車の改造を急いだ。

銃撃に備え鉄板を取り付け、のぞき窓には警察の用意した9ミリの防弾ガラスをはめ込んだ。

改造には10時間もかかったという。

 

写真は改造後のもの。

当時は報復を恐れて車体に書かれてあった会社名を消したそうだ。

事件解決翌日廃車、解体されたとのこと。

なんだか切なさを感じる。

あさま山荘事件当時のクレーン車(事件当時仕様)

出典

前日、警察は白田兄弟をよび、1日警察職員に任じることを伝える。

これは殉職した警察官の遺族へは国から「特別賞恤金」という数千万円もの金員が与えられるからだろう。

民間人を危険にさらすため、せめてもの気持ちであったと思われる。

 

昭和47年2月28日、救出作戦決行の日を迎えた。

作戦では1階と2階を結ぶ階段部分を破壊。

しかし、階段の脇の柱にあたれば、 建物全体が崩れる。

許される誤差は、わずか20cm、しかも一撃で破壊しなければ、泰子さんの命が危ない。

催涙ガスで犯人を3階に惹きつける間、白田兄弟の乗ったクレーン車が近づき、弟は、7m先の壁にねらいをつけ、一撃で命中、階段を破壊した。

鉄球クレーンの威力は抜群で、階段に続き、壁や屋根をぶち抜いた。

だが、その後警察官2名が狙撃され殉職。

警察の決死の突入により、無事人質は救出されたのだった。


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これほどの大事件に協力した白田兄弟だが、彼らの名前が実際に出るのは事件後30年がたってから。

白田兄弟に対する連合赤軍残党からの報復を恐れた警察が秘密にしていたからだと思われる。

現存する2つの鉄球

出典

 

実際にクレーン車を操作した長野・白田建設の白田弘行氏(右)

出典

今回事件をまとめて改めて浅間山荘事件の影響の大きさを思い知らされた。

それにしても30年間秘密かあ…。

俺なら次の日

居酒屋でしゃべっているだろうな。

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