羽田沖日航機墜落事故で奇跡の救出劇 高橋康之医師の病院は? [事件]
ありえへん∞世界で羽田沖日航機墜落事故のことが取り上げられた。
羽田沖日航機墜落事故といえば
ボイスレコーダーに残った「機長(キャプテン)やめてください!」の副操縦士の声はあまりにも衝撃的であった。
その事故の際、活躍した医師がいるという。
名前は高橋康之医師。
一体何があったのか、当時の事故の様子を調べてみることにした。
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1982年2月9日、乗客・乗員174人を乗せた福岡発の日航350便が羽田沖に墜落。
350便は空港まで1kmの時点で順調に着陸態勢をとっていたが、なぜか突然急降下。
滑走路手前の誘導灯をなぎ払うようにして浅瀬に突っ込んだ。
事故の原因は着陸態勢に入ったときに、片桐機長が突然エンジンを逆噴射させたためだった。
多くの犠牲者を出したこの事故であるが、この時、最後の生存者を助けた医師が高橋康之医師。
天井が体にくいこんで身動きできず容易に動けない女性を救出するために、消防本部の指令で駆けつけたという。
そして現場にのぞんだ高橋医師は生存者の状況に絶句。
腹部にはまるで突き刺さるような天井。
腹部のすぐ脇には鋭く千切れた切断面。
消防隊員は爆発の危険性があるため、火花が出ない鋸で切断を試みたが。全く歯が立たず。
ても足も出せない状況が3時間続き、次第に女性の容態が変わり始めた。
そして血圧が低下して測定不能に陥ったのだ。
そこで、高橋医師はわずかな隙間をつくり、そこから女性を救い出すことに成功、無事に救い出された女性は病院に運ばれ一命を取り留めたそうだ。
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なぜ高橋医師は奇跡を起こすことができたのか。
それは彼を取り巻く運命にあった。
彼の父親も医師だった1966年、やはり羽田空港で飛行機事故が起きた。
すぐに駆けつけたにもかかわらず、現場にも立ち入らせてもらえす、多くの犠牲者が出たという。
その後父は1938年の航空機事故を契機に1940年開設された森ヶ崎医院に航空機事故対応医として着任することになる。
医者として誰一人救えなかったと自問自答しながら苦しむ父親が忘れられなかった高橋氏はその後、医師となり、すぐ目の前にある羽田空港で事故があっても直ぐに対応ができるよう、時間を見つけて航空関係の専門書を読み漁り不測の事態にそなえていたらしい。
不測の事態に日々備えるというのはやろうと思ってもできるものではない。
奇跡を起こす準備をしているものだけが奇跡を起こせる。
その高橋医師。
現在も羽田空港近くで開業中。
施設名:高橋医院
診療科目:内科 小児科 皮膚科
電話:03-3742-4735
所在地:〒143-0013 東京都大田区大森南3丁目24-10
最寄駅:大森町
羽田発着便は今後も増えていくであろう。
一生お世話になりませんように。
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