アンビリバボー 武辺寛則 彼がガーナに遺したもの [テレビ]
アンビリバボーで取り上げられた武辺寛則氏。
ガーナではあの野口英世よりも有名な日本人として現地で語り継がれている人物であるが、彼の死後のことについてもう少し書き記しておきたい。
武辺氏の努力が実り、村の発展の構想が着々と実現されつつあった矢先での突然の武辺さんの死は、村人に大きな悲しみをもたらせたという。
村長は「武辺さんがともされた灯は、きっと山々をも照らすようになるに違いない、と信じます」と、その死を悼んだ。
武辺氏が亡くなって間もなく、村の中心部には、武辺さんの遺志を忘れまいと、村人の手で、武辺さんの記念碑(以下の写真)と記念公園「タケベガーデン」が造られた。
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武辺氏の事故現場には、今でも「Takebe Rest Stop(武辺さんが眠る場所)」との看板が掲げられている。
武辺氏の遺志は村人に引き継がれ、今では、村中に、パイナップル畑が広がり、「ファンティ・パイナップル」は、欧州などに輸出され、この地域の貴重な収入源となっている。
武辺氏のご両親は、武辺氏が残していた遺書に従い、アチュワ村の保育所建設のために寄付した。
そして生まれてくる村の子どもたちにも武辺氏のことを今でも語り継いでいる。
2009年にアチュワ村を訪れた武辺氏のご両親は、村の人たちから武辺氏の写真が欲しいと要望されたという。
「村が続く限り、武辺さんのことを子孫にも伝えていきたい」という村の人たちの熱い想いからだった。
ご両親は写真を綺麗な額縁に入れ、アチュワ村の人々にプレゼントした。
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こんなエピソードも残っている。
武辺氏が亡くなって1年ほど後、この村を日本の途上国支援の現地視察で自民党の国会議員一行が訪れた。
その一員だった杉浦正健・元法相は17年後、もう一度、この村を訪れ、驚いた。
「村に入る前から見渡す限りパイナップル畑が続く。前は、わらぶき屋根の貧しい村が、立派な家が並び、車も持つ豊かな村に変わっていた」
ガーナを訪問された皇太子殿下は、このアチュワ村の「ファンティ・パイナップル」をお召し上がり、「とっても美味しかった!」との感想をもらされていたそうだ。
いつか訪れてみたい場所である。
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